アメリカのコメディ 笑いはパワーだ

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アメリカに来てからコメディの大ファンになった。世界的にも良く知られているが、アメリカ人は笑いが大好きな国民で、ユーモアのセンスをとても大切にする。それだけに、コメディはエンターテイメント産業の重要な一分野で、映画、テレビ、演劇など、どれをとっても大きなウエイトを占めている。ドラマやトークショー、漫才、コントなど、テレビにはあらゆる種類のお笑い番組が溢れているし、「コメディ・セントラル」というコメディ専門のケーブル局では、朝から晩までお笑い番組を流している。アカデミー賞やエミー賞など、有名な授賞式の司会を務めるのもたいていがコメディアンだ。アメリカには大きなコメディ業界と星の数ほどのコメディアンが存在し、それを支える層も厚い。

アメリカのコメディ界を語るときに忘れてはならないのが、「サタデー・ナイト・ライブ (SNL)」というテレビ番組だ。10人前後のレギュラーキャストに有名人ゲストを加えて、さまざまなコント(英語ではスケッチ)をニューヨークのスタジオでライブでやるのだが、競争の激しいアメリカのテレビ業界において28年も続いている長寿番組だ。コメディアンにとっては、ここが全米レベルの芸人になる登竜門でもある。古くは「ブルース・ブラザーズ」(これはSNLの コントがオリジナル)を演じたジョン・ベルーシーやダン・アークロイド、80年代はエディー・マーフィーやビリー・クリスタル、最近ではクリス・ロックや マイク・マイヤーズなど、SNL出身者が大スターになった例は枚挙にいとまがない。

SNLの人気の理由は、著名人や権力者を茶化したり、社会問題や時事ニュースをジョークにしたりするところだ。例えば、クリントン前大統領の愛人問題が浮上した時、SNLは毎週のようにそれを題材にしたコントをやっていた。モニカ・ルインスキーさんが実はサダム・フセイン大統領とも友達で、クリントン氏と3人でおしゃべりを楽しむという設定や、寝室で夫と口をきこうとしないヒラリー夫人という設定など、報道機関がタッチできない部分をギャグとしてフィクション化してしまうのだ。また、市役所や郵便局など、アメリカの公共機関の窓口は手際が悪く、必ず長時間待たされるうえ、職員の対応もひどい。そういった、市民の日頃のいらいらを皮肉たっぷりに描き、思いっきり笑い飛ばす。そう、SNLはコメディを通じた権力者の揶揄や社会風刺を行っているのである。

しかし、これはSNLに限ったことではない。トークショーや漫才(スタンド・アップ・コメディと呼ばれる)などは、常に政治的な内容を取り上げ、政治家を冷笑する。チャーリー・チャップリンの作品は、喜劇が風刺であることの古典的な例だ。人々は決して公正で平等とは言えない世の中を笑い飛ばし、強者を嘲弄することで、たくましく生きることを学ぶ。もちろん、娯楽性の高いおバカなだけのコメディや、弱者を笑いものにするブラック・ユーモアという分野もある が、アメリカのコメディ界がこれだけ発達しているのは、弱者という社会の多数派を味方につけているためだ。アメリカのコメディは、「表現の自由」という ジャーナリズムと同じ発想から出発している。大げさに言えば、コメディアンはジャーナリストと同じく市民の代表であり、コメディ番組は新聞と同じく市民の声を反映する場である。アメリカでは、誰かが公の場でばかにされたとしても、それがユーモアを伴った内容である限り、名誉毀損などで訴えることはできない。つまり、コメディは憲法が権利を保障するパワフルな表現の手段ということになる。

調査によると、アメリカの成人の半数近くは、政治や社会に関する情報を報道からだけでなく、コメディからも収集しているという。真面目に議論だけしてたら退屈な政治の話も、お笑いが伴うから興味を持つようになる。2000年の米大統領選の時、民主党候補のアル・ゴア氏は、毎週のように選挙戦のコントをやるSNLにおいて、自分がどのように物真似されているか(=見られているか)を広報担当者に分析させ、キャンペーンの戦略に使ったというのだから驚きだ(残念ながら成功には結びつかなかったが)。「サバービアの表と裏 その2」でも触れたマイケル・ムーア氏が、ドキュメンタリーという地味な分野でこれだけ注 目を集めることができるのは、彼がシニカルで辛口なユーモアのセンスという才能を持っているからにほかならない。そう、笑いはパワーになる。人をひきつけ、人に影響を与え、そして人を元気にするパワーだ。

日本は古来から「落語」という世の中を風刺する芸能を持っていた。しかし、近年の落語は大衆文化から離れつつあり、現在は「面白ければなんでもいい」という幼稚なお笑いが日本の芸能を席巻している。知的な笑いを誘うことのできる芸人は、日本に数えるほどしかいないのではないだろうか。一体どうして、日本は笑いを通じて発言することを放棄してしまったのだろう。どうして笑いによって表現の自由を追求しないのだろう。確かに、日本ではお笑い芸人が現役の政治家をコケにする内容のテレビ番組など考えられない。たとえそれが合法であっても、力関係でその芸人が潰されてしまうことくらい、容易に想像がつく。笑いが弱者のための手段として使われていないのだ。

日本が元気をなくし、「元気を出そう」と言い始めてからどれくらい経つだろうか。元気の出る歌、元気の出る本、元気の出るテレビ、元気の出る人など、いろいろなセラピーを試みているのに、全体としてはちっともその成果が表れているように見えない。笑いに関しても、「わーっとやっていやなことを忘れよう」的なその場しのぎしか生産されていない。日本では知性と笑いが対極にあるが、世間のさまざまな問題を議論する時、人の興味をひくことができる笑いは効果的な手段となるということを、もう一度考えてみてはどうだろうか。そして、笑いは人間の精神を鍛える。リストラや会社の倒産といった自分自身の不幸を含め、暗い世の中をジョークにして笑いとばすことができるくらいのタフさが、今の日本人には必要なのではないだろうか。

私はアメリカにおいては思いっきりの弱者だ。外国人で有色人種で女で英語が母国語でない。「自分は不利だ」とか「差別されている」とか感じたことも少なくない。だからこそ、弱者を代弁するコメディが好きになったわけだし、それをパワーとして吸収できたおかげで、自分の嫌な経験すらもジョークにしてしまう器量を身に付けた。逆に、そうでなければ「やってられない」というアメリカの過酷な現実もある。同時に、コメディはアメリカの政治や社会をより深く洞察するきっかけを与えてくれた。コメディで取り上げられていることは、アメリカ人の関心や考え方を示す指針でもある。コメディを通じて見えてくる世界が広がったのである。日本でも、知性を伴った大人のお笑いが興隆することを心から願う。

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