国内出張がサイアクな訳

今週末にジョージ・クルーニー主演の「マイレージ、マイライフ」(原題:Up in the Air)という映画が日本で公開される。皮肉なことに、この映画を日本行きの機内上映で見たのだが、仕事のほとんどが出張で航空会社のマイルを貯めるのが生きがい、という設定の主人公に「いるよな~、こういう人」と妙に納得してしまった。そして、アメリカに帰ってくるフライトで隣りに座ったのが、まさにこれを地で行く人だったというのも笑えた。 Continue reading 国内出張がサイアクな訳

カリフォルニア州知事選 もうひとつの見方

カリフォルニア州知事の再選挙が、日本でも話題になっているようだ。「カリフォルニアにかかると選挙もお祭りになる」と見られているみたいだが、今回の再選挙に関しては本当にその通りかも知れない。 カリフォルニアというパワフルではあるが、アメリカの一州にすぎない地方の選挙がこれほど盛り上がっているのは、もちろん世界的な映画スターのアーノルド・シュワルツェネッガー氏が立候補したからにほかならない。そのため、話題は政治ニュースの域を完全に超えてしまい、芸能ニュースや海外ニュースとして全世界に広まっている。メディアの報道合戦も激しさを増すばかりだ。 日本にはほとんど伝わっていないようだが、ここカリフォルニアでは、シュワルツェネッガー氏が著名な俳優であること以外にも、彼の立候補が意味することについて議論されている。 考えてみて欲しい。シュワルツェネッガー氏はハリウッドのアクションスターとして世界的な人気を獲得したが、彼がオーストリアの出身であることも周知の事実である。そう、彼はボディビルダーとして1968年にアメリカにやってきた移民なのだ。アクセントのある独特な英語を話し、常にオーストリアのことを語るシュワルツェネッガー氏は、彼が大きな成功を手に入れた移民であることを、いつも我々に思い出させてくれる。 アメリカでは移民にも多くの政治的な権利が与えられているが、アメリカに生まれた人間でなければ、大統領に立候補することはできない。言い換えると、シュワルツェネッガー氏のように、帰化することで市民権を得た人間は大統領にはなれないのだ。とすると、移民が就くことのできる最高の政治ポストは州知事ということになる。「知事よりも連邦議会の議員のほうが上だろう」というのは、中央集権制の日本的な考え方。50州が共和制をとるアメリカでは、各州が小国家の役割を果たしており、行政の仕組みや州法、税制まで、州によって大きく異なる。連邦議会の議員は「ワン・オブ・ゼム」、つまり大勢の中の1人に過ぎない が、州知事は一国一城の主として大いにリーダーシップを発揮することができ、同時に州民に対して大きな責任も持つことになる。 移民であるシュワルツェネッガー氏が、カリフォルニアという偉大な小国家を司ることになるかどうか。日本ではガイジンが知事になることなど想像つかないかもしれないが、人口の4人に1人が海外生まれというカリフォルニアでは、移民が知事になってもおかしくない時代が来ている。そこに人々の注目が集まっているのだ。アメリカ史上で移民の知事は過去にも例があったそうだ。建国直後は海外からの流入者が人口の大半を占めており、当然その中からリーダーを探すしかなかったわけである。しかし、現在のような移民法が制定され、「アメリカ人」が存在するようになってからは、カリフォルニアで一度も移民の知事は誕生していない。それどころか、有力な移民の候補者さえ出たことがないのだ。 ところがこの再選挙では、これまでの沈黙を破るかのように、多くの移民が立候補している。正確な数字は発表されていないが、135人いる立候補者の1割近くは、その略歴から外国生まれであることが分かる。出身地も、メキシコ、インド、ベトナム、イラン、イラク、オーストラリアなど、とにかく多様そのもの だ。これまでの世論調査では、シュワルツェネッガー氏(共和)が最有力と言われているが、その対抗馬として、女性コラムニストのアリアナ・ハフィントン氏 (無所属)の名前が上がっている。彼女はギリシャ生まれだ。 彼らのバックグランドが選挙で有利になるか不利になるか、ということが連日議論されているのだから、カリフォルニアという土地は面白い。この選挙は「移民が政治にどう関わるか」を試す機会でもあるのだ。移民が自分たちの中から代表を選ぶようになるのか、アメリカ人も移民に政治を任せるようになるのか、出生地は政治家の資質と関係ないことなのか。そういうことが問われているのである。 お祭り騒ぎであることも事実。でも今回の選挙は、カリフォルニアの多様性そのものを反映している。さて、どんな結果がでるのだろうか。みな10月7日を心待ちにしている。

マイケル・ムーアってどんな人?

今、首都圏で話題の焦点となっている「ボウリング・フォー・コロンバイン」。恵比寿の映画館は連日長蛇の列で、チケットが開演のかなり前に売切れてしまうという。これから地方でも上映されるらしいので、その人気は全国に広まる気配だ。監督のマイケル・ムーア氏自身も、映画と同時に注目を集めている。著書 「アホでマヌケなアメリカ白人」(原題:Stupid White Men)は各書店の売上ランキングで常に上位。この映画のことを以前に取り上げたため、ボウリング・フォー・コロンバインやマイケル・ムーアといったキーワード検索によるアクセスが最近急増した。ムーア氏への関心の高まりに応えるため、今回はまだ日本であまり知られていない彼の経歴について触れること にする。 ムーア氏は、大きな体にひげ、メガネ、帽子という独特のむさ苦しい風貌で映画に自ら登場し、いろいろな人に話を聞いていく。時に鋭く、時にユーモアを交えながら独自をアプローチを試みる一方、「平凡な一般人」の視点を貫くムーア氏が、見る人に強烈な印象を与えることは確かだ。 生まれは1954年、ミシガン州デービソン。ここは、世界最大の自動車メーカー、ゼネラル・モーターズの大きな製造拠点であったフリントという都市の近隣に位置する。この地域一体は、いわゆるGMの城下町で、彼の父親も祖父もまた隣人も、みなGM工場の従業員という環境の中、アメリカの政治で大きな存在感を占める「オート・ワーカー」を見て育った。中学までカトリック系の私立校に通うが、高校は地元の公立校に行った。そこで彼は、突然政治に目覚める。生徒会のことから、環境や人権といった学校外の問題まで、幅広い分野に興味を示し、さまざまな政治活動を開始する。ミシガン州法で認められている18歳になる と、早速フリント市の教育委員に立候補し、アメリカで最年少の選挙当選者となった。 高校卒業後はミシガン大学に進学するが、政治活動に専念するために退学。その後、「フリント・ボイス」というリベラル系週刊新聞の編集者になり、ジャーナ リストとしての道を歩み始める。彼のリーダーシップによって、新聞はミシガン州全体をカバーする「ミシガン・ボイス」に成長し、中西部で最も評価の高い政治新聞の1つとなった。86年にムーア氏は、「マザー・ジョーンズ (Mother Jones) 」という極左の政治雑誌から声を掛けられ、ミシガン・ボイスを潰して全米一リベラルといわれるサンフランシスコに移住した。しかし間もなく、彼はマザー・ジョーンズが強い政治信念を失ったことに気付き、編集方針をめぐって会社側と何度も対立した。結果、1年もたたないうちにクビになったのである。 ムーア氏がサンフランシスコで格闘している頃、彼の故郷であるミシガン州フリントでは大変なことが起っていた。なんと、GMがフリント工場を全面閉鎖し、 メキシコへ製造拠点を移転するというのだ。彼はマザー・ジョーンズを辞めるとフリントへ飛んで帰る。そこで彼が見たものは、巨大企業の決定の前になすすべ もなく立ち尽くす労働者の姿だった。彼はその時、この問題をテーマにしたドキュメンタリー映画を製作することを決意する。企業が利益をむさぼるために、労働者をいとも簡単に見捨てた結果、25%という高失業率が貧困や犯罪の増加を招き、住民は過酷な生活を強いられる。ムーア氏は、この状況を克明に記録していく。 その一方で、彼はなぜ世界最大の企業が、労働者をこれほど無価値に扱わなければならないのか、その理由を聞くためにGM会長のロジャー・スミス氏に取材を 試みる。ここから、ムーア氏のトレードマークでもある突撃取材が定着し、彼の「ロジャー追っかけ」が始まる。当然ながら、スミス氏はインタビューの要望を受け付けず、ムーア氏はGM本社などで門前払いを何度も食らう。その様子もすべて記録していく。映画製作者として無名だったムーア氏は、ドキュメンタリー を作るためにマザー・ジョーンズからの退職金、自宅、私財などを全部投げ打って資金を捻出した。こうして89年に完成した映画が、「ロジャー&ミー」だ。 ドキュメンタリーとして史上最高のヒットを飛ばし、マイケル・ムーアの名前を全米に知らしめる作品となった。 彼はその後、テレビや映画、著書などを通じて言論活動を続けていく。2001年には、前年の米大統領選とブッシュ政権を批判した「Stupid White Men」を執筆するが、出版直前に同時多発テロが起こり、出版元であるランダム・ハウス社が出版の中止を検討しはじめた。しかし、その事実を知ったムーア 氏の支持者などがランダム・ハウスに抗議を行い、結果的に同著は2002年4月に発表され、間もなくベストセラーとなった。 同時にムーア氏は、99年4月にコロラド州のリトルトンという閑静な住宅地にあるコロンバイン高校で起きた、学生による銃乱射事件をきっかけに、アメリカ の銃社会をテーマしたドキュメンタリー映画を撮ろうと決める。これは、彼がミシガンという銃天国(伝統的に狩猟に使われてきた)で育ったことも大きく影響している。アメリカで「銃(または武器、軍事)」というのは、保守とリベラル、共和と民主を大きく分ける政治議題なのだ。今回は、ロジャー&ミーの時のよ うに資金調達には困らなかったようだが、撮影にかなりの年月をかけ、2002年10月にようやく「ボウリング」として完成した。ちょうどその頃、ワシントン DC近郊で無差別の銃乱射事件が起きており、市民の感情を逆なでしないよう、テレビ広告などは中止となった。しかし公開後、ロジャー&ミーの自己記録を 破って史上最高の売上を達成、今も記録を毎週更新し続けている。 アメリカの言論界は、同時多発テロ以降大きく変化した。愛国心やナショナリズムといった気運の高まりから、右寄りの有識者が言論界を席巻し、リベラル派や 左派と呼ばれる人々は、国賊や非国民とまではいかなくても、非常に難しい立場に追い込まれたことは事実だ。前述の著書もそうだが、ムーア氏がそういった風 潮に挑戦するかのように、この作品を発表したことはアメリカで大きな衝撃となった。しかし、偶然か必然か、昨年秋頃からアメリカはイラク攻撃に対する可能性を強めていく。この映画の中で指摘されている「安全と武装の関係」というのが、アメリカ政府のイラク攻撃に対する姿勢と相重なったため、映画は結果とし て大きな話題を集めることとなった。「ボウリング」はすでに世界各地の映画祭などでさまざまな賞を受賞しており、ムーア氏は世界的に有名な言論者となった。 ムーア氏は自分のウェブサイトでも言論活動を行っている。

サバービアの表と裏 その2

アメリカの郊外型住宅地、サバービアが抱える問題とは?「ボウリング・フォー・コロンバイン」「ステップフォード・ワイフ」という映画を通じて見えてくるサバービアの陰の部分を解説。 Continue reading サバービアの表と裏 その2

インディ映画「My Big Fat Greek Wedding」に見るアメリカ

今日は嬉しいニュースが飛び込んできた。独立系コメディ映画の「My Big Fat Greek Wedding」(以下、Greek Wedding)の累積興行収入が、この週末ついに1億ドル(約120億円)の大台を突破したという。今年4月の公開以来、口コミでその人気がじわじわと 高まり、週末ランキングでも最高で2位につけた。この調子でいけば、インディ映画として過去最高の1.4億ドルを売り上げた「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」の記録を塗り替えることになる。 嬉しいのはもちろん、この作品を個人的に気に入っているからだが、もう1つの理由は、制作費がたったの500万ドル(約6億円)という地味なインディ映画 を、これほど多くのアメリカ人が支持したことだ。数十億、数百億という制作費と莫大な広告宣伝費が当たり前とされるハリウッド映画が圧倒的な存在感を持つアメリカで、独立系映画や外国映画がヒットを生み出すのは容易なことではない。アメリカ人も概して言えば、娯楽性の高いメジャー系映画に慣れ親しんでいて、それ以外の映画にはほとんど関心を持たない。そんな中で、Greek Weddingの健闘ぶりはこの夏のエンターテイメント業界の話題の中心となった。 舞台はシカゴ。主人公のテュラ(二ア・ヴァルダロス)は、アメリカに移住したギリシャ人の父ガス(マイケル・コンスタンティーン)と母マリア(レイニー・ カザーン)から、祖国の文化を厳格に教えられて育つが、周囲のアメリカ人に溶け込めない自分にどこかコンプレックスを感じていた。30歳を迎えても独身 で、両親の経営するレストランでウエイトレスとして働くさえないテュラに、周りが心配して結婚の話をもちかける。ギリシャ社会では、ギリシャ人と結婚してギリシャ人の子供を生むことが女の務めなのだ。しかし、彼女が非ギリシャ男性のイアン(ジョン・コルベット)と恋に落ちてしまったことから、家族・親戚一 同を巻き込んだ大騒動が始まる… 異文化間のロマンスという新しくも何ともないテーマだが、この作品の面白さは、多文化の融合するアメリカの側面を、マイノリティ(つまり非ワスプ)の視点で思い切りコミカルに描いているという点だ。とにかく最初から最後まで爆笑シーンを連発するGreek Weddingに、娯楽性を追及した人も少なくないだろうが、その一方で多くの観客が何となく身に覚えのあるものを感じながら、この映画を楽しんだことも事実なのだ。アメリカでは移民の数が増加の一路を辿っている。多くの移民は大都市に住み着くが、最近は人口5000人の町にも中国人の経営する中華料理店ができるくらい、移民は各地に浸透している。その結果、異文化コミュニケーションはアメリカ人にとって重要な関心事となった。 この映画がアメリカ人にうけたもう1つの理由はノスタルジーである。父親のガスは絶対的な父権で家族をまとめようとする頑固者、そして母親のマリアは家庭的で優しいみんなの理解者。家族や親戚と深い絆でつながった彼らの伝統的な暮らし方に、アメリカ人は自分たちが失ってしまった価値観を思い起こすことになる。そういった周りとのつながりがうっとうしくなって、プライバシーを尊重する現在のような社会を作ったわけだが、一方で朝から晩まで台所に立ってじゃがいもの皮むきをするような母親の姿も、アメリカでは見かけなくなってしまった。アメリカ人は、映画の中のギリシャ文化に、古き良き時代のアメリカを重ね合わせたのだ。 そしてテュラと同じマイノリティの立場として注目したいのは、この映画がアメリカで「祖国の文化」を誇りに思い、伝統を継承するマイノリティを祝福してい る点だ。チャイナタウンやリトルインディアなど、移民が各地に形成するエスニック・コミュニティは拡大を続けており、文化を維持するだけでなく、政治的、 経済的な力もつけるようになった。ワスプ中心の主流社会に合わせなければいけないといったこれまでの雰囲気は変わり、「民族性」が自分のオリジナリティという認識が広がり、特にこの数年は民族性が「格好いいこと」とさえ捉えられるようになった。1960年代の公民権運動を経て、90年代に移民の急増を経験したアメリカは、多民族文化を包み込むことができる成熟した社会を確実に形成しつつある。この映画はそんなアメリカを明るく祝っているのだ。 この作品が非ワスプの視点で描かれていると書いたが、とにかく何をするにしてもビッグでファット(豪快)なギリシャ人についていけないワスプの人をコケにしている場面がたくさんあって、多分マイノリティの人はスカッとしたはず。その一方で、これでもかというくらいギリシャ文化をジョークにして笑い飛ばす内容なのだ。ギリシャ系の知人に映画の信憑性について聞いてみたところ、大げさな部分はもちろんたくさんあるが、何かというと親戚一同が数十人単位で集まってくるところなどは、否定のしようがないと言っていた。 日本での公開はまだ未定だが、早ければ来年早々に上陸という噂もある。移民で成り立つ国で人々はどうやって生きるのか、移民を受け入れるとはどういうことなのか、連発されるジョークの合間にそういったアメリカの現代社会を読み取って欲しい。日本にとっても他人事ではないはずだ。