カリフォルニア女はタフで美しい

2007年が明けて、アメリカの話題はもっぱら開会した連邦議会だ。民主党が12年ぶりに上下両院で過半数を奪回したことに加え、下院議長(Speaker of the House)に女性初となるナンシー・ペローシ氏(民主)が選出され、大きな注目を集めている。 Continue reading カリフォルニア女はタフで美しい

女の友情 アメリカ編 その2

アメリカ人女性の友情を語る時、忘れてはならないテレビ番組がある。日本でも衛星で放送されて話題になっている「Sex and the City」(SATC)だ。 HBOというケーブルテレビ局が制作したこの番組は、ニューヨーク(=The City)に暮らす独身女性の恋愛やセックスに対する本音をコミカルに描いたドラマで、キャリー、サマンサ、ミランダ、シャーロットという4人のキャリア・ウーマンが主人公として登場する。女性の関心事を現実的なタッチで取り上げたことで、1998年から2003年の放送期間中、常に高視聴率をキープ し、テレビ界における賞を多数受賞した。また、ドラマに出てきた最先端ファッションや都会的なライフスタイルにも注目が集まり、ここから多くの流行を生み 出すことになった。現在、地上波で再放送されて、人気がまた上昇している。 SATCでは、「女同士の友情」というのも大きなテーマとなった。4人は好みも考え方もバラバラだが、共に楽しい時間を過ごし、お互いの恋愛の相談に乗 り、失恋のつらさを分かち合う、とても仲のいい友達だ。時には喧嘩もするが、それぞれの個性をよく理解していて、都会的な大人の関係を維持しつつ、恋人と同じくらい(またはそれ以上に)、親友を大切にする姿が描かれている。 SATCを観たという日本の友達に、「あの内容はどこまで本当なのか」と聞かれたことがある。ドラマはしょせんドラマなのだが、少なくとも働く女性の関心 事がデートというのは本当だと思う。それはカリフォルニアの女性を見ていて実感する。しかし、女同士の友情については、あり得ないとは言い切れないが、 「あれほど深い関係でつながっているアメリカ人が一体どれだけいるだろうか」とかなり疑問視している。 都会の女、しかもキャリア・ウーマンは多忙を極める。夜遅くまで仕事をし、美容と健康のためにジムやエステに通い、キャリアのために大学院の講座を取り、 教養のために美術館や観劇に行く。その忙しい合間にデートをしていたら、女の友情が生活に入り込んでくる余裕はない。SATCでは4人がよくお洒落な店でランチをする場面が出てきた。しかし、実際のキャリア・ウーマンはお昼を簡単に済ませ、ランチの時間にも仕事をしたり、ジムで汗を流したりする。レストランで豪華にランチを取るのはビジネスが絡んでいる時だけで、友達とおしゃべりをするためではない。 キャリア・ウーマンでもエグゼクティブ級になると、お抱えのカウンセラー(サイコセラピストなど様々な役職名がある)がいて、カウンセリングに月数十万を 払っているという。カウンセラーはもちろん、心理学などの専門家なのだが、実際は患者の話をうんうんと聞いてあげることが仕事になっていたりする(よく何もしない高給取りの代名詞として使われる)。それでも、ニーズはしっかりとあるのだ。ちなみに、エグゼクティブでない私もカウンセリングを受けたことがあるが、一般論に照らし合わせたアドバイスしかできないカウンセラーに落胆し、「これなら友達と飲みに行って愚痴ったほうがよかった」と後悔した経験がある。 結局、キャリア・ウーマンには悩みを聞いてくれる友達がいない…ということではないだろうか。女というのは結構単純で、ひどく悩んだり落ち込んだりしていても、それを誰かに話すことで驚くほどすっきりしてしまうことがよくある。SATCでは、4人がいつも恋愛について井戸端会議をし、恥も外聞もなく自分の悩みを相談し合っている。でも、現実のキャリア・ウーマンはそれができないから、高額を支払ってカウンセリングを利用しなければならない。都会の女は孤独なのだ。 SATCの視聴者は7割以上が女性だ。「恋人がいるのに、既婚の元カレとヨリが戻ってしまった」とか「仕事で成功している女には男が寄ってこない」といった、現実味溢れるストーリーを展開して女性に親近感を持たせると同時に、理想的な女の友情を盛り込んで「こんな友達がいたらなぁ」という願望を反映させた。この現実と理想のほどよいバランスが、SATCの成功の大きな要因ではないだろうか。 ドラマのヒット以来、グループで来る女性客が増えた、と知り合いのレストラン関係者が言っていた。女同士でつるむことがトレンドなのかもしれない。ロスのお洒落なレストランやバーで、日焼けした肌を流行のファッションで包み、綺麗な色のカクテルを飲みながら盛り上がる女性グループを見かけると、「おっ、 SATC西海岸版をやってるな」とついつい目を奪われる。でも次の瞬間、「彼女たちの友情はドラマと同じわけないか」と、ちょっとシニカルな考えが頭をよぎるのだ。

女の友情 アメリカ編 その1

アメリカ在住の日本人の間で、よくアメリカ人の友情のことが話題になる。大同小異はあるものの、大抵は「アメリカ人の友情って薄っぺらいよね」という意見でまとまってしまう。 学生の時も社会に出てからも、日本人にとって友達の存在はとても大きい。一緒に飲んだり遊んだりするだけでなく、夢を語り合ったり、悩みを相談し合ったりと、たくさんの時間を友達と過ごし、互いの成長の糧となる。しかしアメリカ人を見ていると、一時は仲良くしていても、何らかの形で環境が変わると、連絡を取らなくなるような付き合いが多いようだ。 アメリカ人は友達よりも恋人や家族に重きを置いている、と言ったほうがいいのかも知れない。アメリカでは、家族が社会を構成する基本の単位となっている。 だからどこに行っても、カップルや家族連れが圧倒的に多いし、パーティはパートナー同伴で参加することが前提となっている。私たちは「カップル社会」と呼んでいるが、婚姻関係の有無にかかわらず、パートナーがいないと何かと行動しにくい社会であることは確かだ。友達付き合いも、カップル同士や家族ぐるみというケースが多い。 パートナーや家族を大切にするのはとてもいいことだが、それがいき過ぎて、男女の関係や血縁関係以外に付き合いがない、というアメリカ人は多い。自分のきょうだいやいとこを「親友」と呼んでいつも一緒にいる人や、プライベートの時間は恋人としか過ごさない人をたくさん知っている。オンとオフがはっきり分かれているアメリカでは、仕事の後に同僚や取引先と飲みにいくという習慣がないから、余計に付き合いが限られてしまうのかもしれない。 さて、友情でも女同士のそれは、「極薄」という意見が多い。確かに、アメリカ人女性の友情に対する考え方は、「仲良くしましょうね~」という日本人女性の感覚と違って冷ややかなものがある。渡米したばかりの頃はその違いに戸惑ったが、10年たって「極薄」の背景にあるのが何か少し分かった気がする。 アメリカでは、ティーンの女の子の最大の関心事は、昔から「異性とおしゃれ」と相場が決まっている。いかにカッコイイ男の子と付き合うか、そのためにいかにおしゃれをするかが、学校生活の良し悪しを決める大きな要素になる。だから、女友達は目的達成の良き協力者でなければならず、男をめぐって友情が深まったり平気で壊れたりする。 なぜそんなにボーイフレンド探しが重要なのか?それは、アメリカにプロムという特殊な習慣があるからではないだろうか。映画にもよく出てくるが、プロムというのは高校の卒業パーティのことで、学校生活の最後を飾る一大イベントである。カップルでの参加が条件で、男の子はタキシード、女の子はイブニングドレスという正装に身を包み、会場にリムジンで乗り付ける華やかさは、プチ・アカデミー賞といったところだ。 女の子にとって、プロムは人生初めての「ハレの日」である。この日に輝くこと、つまり最高のパートナーを伴って美しく装うことは1つの大きなゴールであり、それに対する彼女たちの意気込みは日本の成人式の比ではない。当然のことながら、学校生活の中心はボーイフレンドになってしまい、女友達の優先順位は低くなってしまう。 プロムが終わると、女は次の「ハレの日」に向かって準備を始める。そう、結婚である。特に働くようになると、限られたプライベートの時間はデートで大忙しだ。デートする相手のいない女は、やはり相手のいない暇な友達と遊ぶことになる。20代後半からの女友達は、利害関係が一致してなければならない。どちらかに彼氏ができたりすると、その友情はすぐになくなっていたりする。 意外に思うかもしれないが、アメリカの女性たちの結婚願望は強く、少しでもいい男をつかむことが今も大きな課題として存在している。ティーンの時と同様、 働く女性の関心事は引き続き男探しで、女友達はいつも後回しになってしまう。自立した女性が多いことやフェミニズムで知られるアメリカだが、結局、女同士の関係は男によって左右されている。その度合いは日本よりもずっと大きい、というのが在米日本人の間で一致する見解なのだ。

レディファースト

日本人男性を悩ますアメリカの習慣の1つが、「レディファースト」だと言う。戸口で、エレベーターで、レストランで、乗り物で、女性をエスコートしつつも先に行かせてあげなければならないのは、本当に気を使うのだそうだ。もしこれに失敗しようものなら、「まったく、男尊女卑の日本人!」とばかりにアメリカ人女性ににらまれてしまうのだから、日々の心労は計り知れないものがある。これはもう何というか、生まれた時からの習慣として身に付いているかいないかの問題で、ある日突然強制させられたところで、上手にできるわけがないのである。 しかし、戸惑っているのは何も男性だけではない。日本で男性の後をくっついて行くことに慣れていた女性だって、ある日急に「先に行け」と言われたら、やはりスムーズにできないものである。特にエレベーターなどであからさまにドアを開けて待っていてくれたりすると、むしろ気後れしてしまうというか、申し訳ないというか、ちょっと恥ずかしい気持ちになってしまう。やはりどこか謙虚な日本人女性は、アメリカ人女性のように堂々と「レディファースト」されることができないように思える。 日本人男性と一緒にいるときもまた困る。ここはアメリカなんだから、と開き直ってレディファーストされるべきなのか、それとも日本人同士でアメリカの流儀を押し通さないほうが良いのか、といつも気を使ってしまう。私の友人などは「日本人男性って、アメリカ人女性だけにレディファーストするでしょ。あれ、 あったま来る!」と憤慨しているが、私は誰が先に入ろうとそんな大した問題ではないと思う。いや、極端な話、レディファーストは時代錯誤の習慣ではないかという気さえするのだ。 レディファーストは、アメリカの建国期に極端に少なかった女性を勝ち取るために、男性が女性を立てる手段として社会に根付いていった。しかし現在のアメリカで、男女の人口比はあまり変わらないし、男女同権になったし、フェミニストたちは男女平等でなければいけないと言っている。もし男女平等なら、どちらが先でも構わないではないか。もしこれが逆で、女性が男性に譲らなければならない習慣だったとしたら、「女性差別」といって大変な騒ぎになるはず。この国のことだ、「公の場でジェントルマンファーストは禁止」などという州法がとっくにできていたことだろう。 アメリカ人男性の中には、レディファーストをすることに喜びを感じている人もいるという。その根底に「か弱いあなたたちを私たち男性が守って差し上げましょう」という優越感がないと言い切れるだろうか。女性がこれだけ賢く、たくましくなり、男性と同等に、時にはそれ以上に才能を発揮する今日のアメリカ社会で、「レディファーストなんかなくたって私たちは大丈夫」というくらいの余裕を、なぜ女性は持てないのだろうか。むしろ、レディファーストごときでギクシャクしている姿こそ、アメリカ社会がいまだに「隠れ男性優位」である証拠ではないだろうか。

アジア系女性はどう見られている?

少し前、アジア系アメリカ人を対象としたウェブサイトに、こんな見出しの記事が載っていた。「アジア系女性は『性の脅威』か『同情の対象』」。これは、アジア系以外のアメリカ人女性、つまり白人や黒人、ヒスパニック系などが、アジア系女性に対して抱いているイメージのことだ。若者を中心に聞き込みを行った 結果、この2つに分類される回答が最も多かったという。偏見や差別といった問題はひとまず置いておいて、アジア系女性が同性の仲間にどう見られているかを 取り上げている点が面白い。 Continue reading アジア系女性はどう見られている?