国内出張がサイアクな訳

今週末にジョージ・クルーニー主演の「マイレージ、マイライフ」(原題:Up in the Air)という映画が日本で公開される。皮肉なことに、この映画を日本行きの機内上映で見たのだが、仕事のほとんどが出張で航空会社のマイルを貯めるのが生きがい、という設定の主人公に「いるよな~、こういう人」と妙に納得してしまった。そして、アメリカに帰ってくるフライトで隣りに座ったのが、まさにこれを地で行く人だったというのも笑えた。 Continue reading 国内出張がサイアクな訳

アメリカで病気/けがしたら・・・

アメリカにはこんなジョークがある。心臓発作をおこして救急車を呼んだらオペレーターにこう言われた。「10分以内に到着する松、30分以内の竹、1時間以内の梅がありますが、どれにしますか?」緊急事態の当事者にとっては全く笑えないジョークだが、このネタを真剣に、だけど笑いを交えて取り上げた映画がマイケル・ムーア監督の新作「Sicko」だ。 Continue reading アメリカで病気/けがしたら・・・

都合の悪い真実

ほとんど映画館に足を運ぶことのない私が、立て続けに2本の映画を観た。「An Inconvenient Truth」と「Who Killed the Electric Car?」だ。どちらも環境問題を扱ったドキュメンタリーで、限られた映画館でしか上映していない。だが、それなりに健闘しているようだ。 Continue reading 都合の悪い真実

女の友情 アメリカ編 その2

アメリカ人女性の友情を語る時、忘れてはならないテレビ番組がある。日本でも衛星で放送されて話題になっている「Sex and the City」(SATC)だ。 HBOというケーブルテレビ局が制作したこの番組は、ニューヨーク(=The City)に暮らす独身女性の恋愛やセックスに対する本音をコミカルに描いたドラマで、キャリー、サマンサ、ミランダ、シャーロットという4人のキャリア・ウーマンが主人公として登場する。女性の関心事を現実的なタッチで取り上げたことで、1998年から2003年の放送期間中、常に高視聴率をキープ し、テレビ界における賞を多数受賞した。また、ドラマに出てきた最先端ファッションや都会的なライフスタイルにも注目が集まり、ここから多くの流行を生み 出すことになった。現在、地上波で再放送されて、人気がまた上昇している。 SATCでは、「女同士の友情」というのも大きなテーマとなった。4人は好みも考え方もバラバラだが、共に楽しい時間を過ごし、お互いの恋愛の相談に乗 り、失恋のつらさを分かち合う、とても仲のいい友達だ。時には喧嘩もするが、それぞれの個性をよく理解していて、都会的な大人の関係を維持しつつ、恋人と同じくらい(またはそれ以上に)、親友を大切にする姿が描かれている。 SATCを観たという日本の友達に、「あの内容はどこまで本当なのか」と聞かれたことがある。ドラマはしょせんドラマなのだが、少なくとも働く女性の関心 事がデートというのは本当だと思う。それはカリフォルニアの女性を見ていて実感する。しかし、女同士の友情については、あり得ないとは言い切れないが、 「あれほど深い関係でつながっているアメリカ人が一体どれだけいるだろうか」とかなり疑問視している。 都会の女、しかもキャリア・ウーマンは多忙を極める。夜遅くまで仕事をし、美容と健康のためにジムやエステに通い、キャリアのために大学院の講座を取り、 教養のために美術館や観劇に行く。その忙しい合間にデートをしていたら、女の友情が生活に入り込んでくる余裕はない。SATCでは4人がよくお洒落な店でランチをする場面が出てきた。しかし、実際のキャリア・ウーマンはお昼を簡単に済ませ、ランチの時間にも仕事をしたり、ジムで汗を流したりする。レストランで豪華にランチを取るのはビジネスが絡んでいる時だけで、友達とおしゃべりをするためではない。 キャリア・ウーマンでもエグゼクティブ級になると、お抱えのカウンセラー(サイコセラピストなど様々な役職名がある)がいて、カウンセリングに月数十万を 払っているという。カウンセラーはもちろん、心理学などの専門家なのだが、実際は患者の話をうんうんと聞いてあげることが仕事になっていたりする(よく何もしない高給取りの代名詞として使われる)。それでも、ニーズはしっかりとあるのだ。ちなみに、エグゼクティブでない私もカウンセリングを受けたことがあるが、一般論に照らし合わせたアドバイスしかできないカウンセラーに落胆し、「これなら友達と飲みに行って愚痴ったほうがよかった」と後悔した経験がある。 結局、キャリア・ウーマンには悩みを聞いてくれる友達がいない…ということではないだろうか。女というのは結構単純で、ひどく悩んだり落ち込んだりしていても、それを誰かに話すことで驚くほどすっきりしてしまうことがよくある。SATCでは、4人がいつも恋愛について井戸端会議をし、恥も外聞もなく自分の悩みを相談し合っている。でも、現実のキャリア・ウーマンはそれができないから、高額を支払ってカウンセリングを利用しなければならない。都会の女は孤独なのだ。 SATCの視聴者は7割以上が女性だ。「恋人がいるのに、既婚の元カレとヨリが戻ってしまった」とか「仕事で成功している女には男が寄ってこない」といった、現実味溢れるストーリーを展開して女性に親近感を持たせると同時に、理想的な女の友情を盛り込んで「こんな友達がいたらなぁ」という願望を反映させた。この現実と理想のほどよいバランスが、SATCの成功の大きな要因ではないだろうか。 ドラマのヒット以来、グループで来る女性客が増えた、と知り合いのレストラン関係者が言っていた。女同士でつるむことがトレンドなのかもしれない。ロスのお洒落なレストランやバーで、日焼けした肌を流行のファッションで包み、綺麗な色のカクテルを飲みながら盛り上がる女性グループを見かけると、「おっ、 SATC西海岸版をやってるな」とついつい目を奪われる。でも次の瞬間、「彼女たちの友情はドラマと同じわけないか」と、ちょっとシニカルな考えが頭をよぎるのだ。

アメリカ人の食生活を大バッシング!!な映画

アメリカで話題になっている「Super Size Me」という映画を観に行ってきた。 「オレをスーパーサイズ(特大)にしてくれ!」というのが題名の直訳となるが、これは、「マクドナルドを朝、昼、晩と1ヵ月間食べ続けたらどうなるか?」という人体実験を試みたドキュメンタリーで、監督のモーガン・スパーロック氏が自らモルモットとなって、その様子を克明に記録していく映画だ。 このサイトで何度も取り上げ、日本でもたびたび報道されているから、多くの方はアメリカ人の「肥満度」についてご存知だと思う。Super Size Meは、アメリカの特大カルチャーがもたらす肥満社会に警鐘を鳴らす映画として評価され、すでにサンダンス映画祭で最優秀監督賞を受賞している。マクドナルド側は否定するが、この映画がマックに与えた影響の大きさにも注目が集まっている。 「もうファストフードが食べられなくなる」、「ハンバーガーが怖い」、「これからは食事に気をつけます」といったコメントを聞いていたので、先に食べてから行くべきか(観てる途中で吐いちゃったらどうしよう・・・)、映画の後に食べるべきか(お腹がすいても、食べる気にならないかも・・・)でかなり悩んだ。 結局、お昼を食べてから午後2時30分の上映に行ったのだが、映画の内容は、ただ単にスパーロック氏の様子を撮影するだけに留まらず、各分野の専門家に健康や食生活についてインタビューし、市民の声を聞き、いろいろなデータを集め、アメリカが抱える「肥満」という問題の真相を究明していくというものだった。徹底的な調査と取材をベースに、笑いを交えながら、作り手のメッセージを伝えるという手法は、マイケル・ムーア氏のそれに似ていると思った。 スパーロック氏は、毎日メニューを変えながらマックを食べ続ける。彼に起こった変化は、太っただけではなかった。体脂肪率やコレステロール値が上昇し、体調はどんどん悪化、気分がすぐれず、ほとんど鬱状態になり、集中力や性機能まで低下してしまい、(本人もここまで予測していなかったのか)実に体を張った実験になってしまった。 細かな内容は省略するが、映画の中で指摘されていることと、「アメリカ人の食生活を大バッシング!!」 で書いたことが、いくつもダブっていたので驚いてしまった。ただし、映画は肥満の問題をさらに掘り下げていく。そこで明らかになったのは、問題の根底にあるのが、マクドナルドをはじめとする、莫大な利益をむさぼる大企業、その企業に抱え込まれているワシントンの政治家、怠惰で無責任で無知な大人たち、その 犠牲になっている子供、という像だった。 マクドナルド第1号店の開店は1948年のこと。アメリカでもまだ外食が贅沢な時代に、早くかつ安く食べ物を提供するというやり方は実に斬新で、新たな飲食スタイルの幕開けとなった。しかし、早くて安ければ何でもいいというファーストフードのビジネスモデルは、もう時代錯誤なのではないかと思った。たとえそこに市場があっても、だ。技術が発達した今日、早くて安いは当たり前で、さらに安全で健康にいい食べ物が求められているということではないだろうか。 しかし、今のアメリカを見ていると、国民が肥満や病気になることで経済が回っているから怖くなる。食品会社は商品のサイズをどんどん大きくし、レストランも大盛りの料理を出して値段を吊り上げ、利益を増幅させている。そして肥満の人が増えると、ダイエットやフィットネス業界が儲かり、健康障害を起こせば医者や製薬会社の市場が広がる。アメリカ人がみな食生活に気を使い、健康になってしまったら、都合の悪くなる人が大勢いるのだ。 Super Size Meは、日本でも近々公開されるらしい。ちなみに、気持ち悪いシーンはいくつかあるものの、観てる方まで吐くほどではない。だから、食べてから観に行くのが正解。映画の後は、さすがに何かを食べる気にはなれない。

マイケル・ムーアってどんな人?

今、首都圏で話題の焦点となっている「ボウリング・フォー・コロンバイン」。恵比寿の映画館は連日長蛇の列で、チケットが開演のかなり前に売切れてしまうという。これから地方でも上映されるらしいので、その人気は全国に広まる気配だ。監督のマイケル・ムーア氏自身も、映画と同時に注目を集めている。著書 「アホでマヌケなアメリカ白人」(原題:Stupid White Men)は各書店の売上ランキングで常に上位。この映画のことを以前に取り上げたため、ボウリング・フォー・コロンバインやマイケル・ムーアといったキーワード検索によるアクセスが最近急増した。ムーア氏への関心の高まりに応えるため、今回はまだ日本であまり知られていない彼の経歴について触れること にする。 ムーア氏は、大きな体にひげ、メガネ、帽子という独特のむさ苦しい風貌で映画に自ら登場し、いろいろな人に話を聞いていく。時に鋭く、時にユーモアを交えながら独自をアプローチを試みる一方、「平凡な一般人」の視点を貫くムーア氏が、見る人に強烈な印象を与えることは確かだ。 生まれは1954年、ミシガン州デービソン。ここは、世界最大の自動車メーカー、ゼネラル・モーターズの大きな製造拠点であったフリントという都市の近隣に位置する。この地域一体は、いわゆるGMの城下町で、彼の父親も祖父もまた隣人も、みなGM工場の従業員という環境の中、アメリカの政治で大きな存在感を占める「オート・ワーカー」を見て育った。中学までカトリック系の私立校に通うが、高校は地元の公立校に行った。そこで彼は、突然政治に目覚める。生徒会のことから、環境や人権といった学校外の問題まで、幅広い分野に興味を示し、さまざまな政治活動を開始する。ミシガン州法で認められている18歳になる と、早速フリント市の教育委員に立候補し、アメリカで最年少の選挙当選者となった。 高校卒業後はミシガン大学に進学するが、政治活動に専念するために退学。その後、「フリント・ボイス」というリベラル系週刊新聞の編集者になり、ジャーナ リストとしての道を歩み始める。彼のリーダーシップによって、新聞はミシガン州全体をカバーする「ミシガン・ボイス」に成長し、中西部で最も評価の高い政治新聞の1つとなった。86年にムーア氏は、「マザー・ジョーンズ (Mother Jones) 」という極左の政治雑誌から声を掛けられ、ミシガン・ボイスを潰して全米一リベラルといわれるサンフランシスコに移住した。しかし間もなく、彼はマザー・ジョーンズが強い政治信念を失ったことに気付き、編集方針をめぐって会社側と何度も対立した。結果、1年もたたないうちにクビになったのである。 ムーア氏がサンフランシスコで格闘している頃、彼の故郷であるミシガン州フリントでは大変なことが起っていた。なんと、GMがフリント工場を全面閉鎖し、 メキシコへ製造拠点を移転するというのだ。彼はマザー・ジョーンズを辞めるとフリントへ飛んで帰る。そこで彼が見たものは、巨大企業の決定の前になすすべ もなく立ち尽くす労働者の姿だった。彼はその時、この問題をテーマにしたドキュメンタリー映画を製作することを決意する。企業が利益をむさぼるために、労働者をいとも簡単に見捨てた結果、25%という高失業率が貧困や犯罪の増加を招き、住民は過酷な生活を強いられる。ムーア氏は、この状況を克明に記録していく。 その一方で、彼はなぜ世界最大の企業が、労働者をこれほど無価値に扱わなければならないのか、その理由を聞くためにGM会長のロジャー・スミス氏に取材を 試みる。ここから、ムーア氏のトレードマークでもある突撃取材が定着し、彼の「ロジャー追っかけ」が始まる。当然ながら、スミス氏はインタビューの要望を受け付けず、ムーア氏はGM本社などで門前払いを何度も食らう。その様子もすべて記録していく。映画製作者として無名だったムーア氏は、ドキュメンタリー を作るためにマザー・ジョーンズからの退職金、自宅、私財などを全部投げ打って資金を捻出した。こうして89年に完成した映画が、「ロジャー&ミー」だ。 ドキュメンタリーとして史上最高のヒットを飛ばし、マイケル・ムーアの名前を全米に知らしめる作品となった。 彼はその後、テレビや映画、著書などを通じて言論活動を続けていく。2001年には、前年の米大統領選とブッシュ政権を批判した「Stupid White Men」を執筆するが、出版直前に同時多発テロが起こり、出版元であるランダム・ハウス社が出版の中止を検討しはじめた。しかし、その事実を知ったムーア 氏の支持者などがランダム・ハウスに抗議を行い、結果的に同著は2002年4月に発表され、間もなくベストセラーとなった。 同時にムーア氏は、99年4月にコロラド州のリトルトンという閑静な住宅地にあるコロンバイン高校で起きた、学生による銃乱射事件をきっかけに、アメリカ の銃社会をテーマしたドキュメンタリー映画を撮ろうと決める。これは、彼がミシガンという銃天国(伝統的に狩猟に使われてきた)で育ったことも大きく影響している。アメリカで「銃(または武器、軍事)」というのは、保守とリベラル、共和と民主を大きく分ける政治議題なのだ。今回は、ロジャー&ミーの時のよ うに資金調達には困らなかったようだが、撮影にかなりの年月をかけ、2002年10月にようやく「ボウリング」として完成した。ちょうどその頃、ワシントン DC近郊で無差別の銃乱射事件が起きており、市民の感情を逆なでしないよう、テレビ広告などは中止となった。しかし公開後、ロジャー&ミーの自己記録を 破って史上最高の売上を達成、今も記録を毎週更新し続けている。 アメリカの言論界は、同時多発テロ以降大きく変化した。愛国心やナショナリズムといった気運の高まりから、右寄りの有識者が言論界を席巻し、リベラル派や 左派と呼ばれる人々は、国賊や非国民とまではいかなくても、非常に難しい立場に追い込まれたことは事実だ。前述の著書もそうだが、ムーア氏がそういった風 潮に挑戦するかのように、この作品を発表したことはアメリカで大きな衝撃となった。しかし、偶然か必然か、昨年秋頃からアメリカはイラク攻撃に対する可能性を強めていく。この映画の中で指摘されている「安全と武装の関係」というのが、アメリカ政府のイラク攻撃に対する姿勢と相重なったため、映画は結果とし て大きな話題を集めることとなった。「ボウリング」はすでに世界各地の映画祭などでさまざまな賞を受賞しており、ムーア氏は世界的に有名な言論者となった。 ムーア氏は自分のウェブサイトでも言論活動を行っている。

サバービアの表と裏 その2

アメリカの郊外型住宅地、サバービアが抱える問題とは?「ボウリング・フォー・コロンバイン」「ステップフォード・ワイフ」という映画を通じて見えてくるサバービアの陰の部分を解説。 Continue reading サバービアの表と裏 その2

アジア系女性はどう見られている?

少し前、アジア系アメリカ人を対象としたウェブサイトに、こんな見出しの記事が載っていた。「アジア系女性は『性の脅威』か『同情の対象』」。これは、アジア系以外のアメリカ人女性、つまり白人や黒人、ヒスパニック系などが、アジア系女性に対して抱いているイメージのことだ。若者を中心に聞き込みを行った 結果、この2つに分類される回答が最も多かったという。偏見や差別といった問題はひとまず置いておいて、アジア系女性が同性の仲間にどう見られているかを 取り上げている点が面白い。 Continue reading アジア系女性はどう見られている?

サバービアの表と裏

日本ではほとんど報道されていないが、南カリフォルニアではこの数ヵ月、「ダニエル・バンダムちゃん殺害事件」のニュースで持ちきりだ。事件はサンディエゴ郊外で今年の2月に起きた。容疑者のデービッド・ウェスターフィールドが、2軒隣りに住む7歳のダニエルちゃんを誘拐し、殺害したという。同類の犯罪が毎年数百件起きるアメリカで、目新しい事件というわけではないが、マスコミが飛びついたのが、裁判が進むにつれて明らかになったダニエルちゃんの両親の生活スタイルだった。 バンダム夫妻は地域で良き隣人、良き両親として知られていたが、一方で日常的にマリファナを吸い、夫婦の性パートナーを交換する、いわゆる「スワッピング」を行っていたという。母親のブレンダさんは、子供を寝かしつけた後、夜遊びに行くことがたびたびあり、ダニエルちゃんが行方不明になった夜も、近所のバーに出かけて家を空けていた。バーでは酒を飲み、そこで知り合った男性とダンスをし、マリファナを吸ったと供述している。事件は一気にスキャンダルと化した。 この事件のポイントは、サブレ・スプリングという「閑静な住宅地」で起きたことである。サバービアと呼ばれるこういった郊外型の新しい住宅地は、学校に通う子供のいる中流家庭向けに開発されたもので、安全性、高い教育水準、整備された住環境、手頃な不動産価格が大前提となっている。そこに暮らす人は、家族を愛し、地域に協力する「良き市民」であり、平和で安定した生活を送ることに重点を置いている。しかしこの事件は、そういったサバービアのダークな面を露呈することになった。 サバービアの表と裏。これはアメリカでよく取り上げられるテーマだ。犯罪の増加、ドラッグや売春、ギャング抗争、移民の急増、過密人口、渋滞、不動産価格の高騰など、悪化した都市の住環境に耐えられなくなった白人は、1960年代以降、郊外へと脱出していった。そこでは平和で幸せな暮らしが待っているはずだった。しかし、人間というのは自分勝手な生き物で、平和な生活を手に入れると、今度はそれに退屈し、刺激を求めるようになる。「善良な市民」をやりなが ら、反社会的なもう1人の自分をつくる者が出てくる。 サバービアの犯罪率は概してとても低い。しかし、数少ない中にとてつもなく凶悪な犯罪が目立つのもサバービアの特徴だ。99年にコロラド州リトルトンのコロンバイン高校で史上最悪の銃乱射事件が起きた時、住民は「何故こんな平和な街で…」と口々に語った。それから約1年後、カリフォルニア州サンティーのサンタナ高校で同様の事件が起きた時も、そこの住民は同じようなコメントを発した。リトルトンはデンバーの、そしてサンティーはサンディエゴのサバービアだ。 サバービアの問題は、特に子供への心理的インパクトに重点がおかれて議論されている。開発計画によって建てられた画一的な住宅に住み、画一的な生活を送る。本来なら、人それぞれであるはずの幸せの価値まで、ここでは画一化されている。美しい街の外観は、徹底的な人工管理によって整備されている。ゲームセンターや酒場、風俗など、子供に悪影響を与えると思われるものはすべて排除され、住宅のみが街を構成している。車を持たない子供は、自分たちだけで遊びに行くこともできない。平和で安全で退屈なサバービアに、子供たちは説明のつかない反発心を感じるようになり、それが行き過ぎて犯罪に結びつくという。 世の中というのはいいことばかりではない。社会には必要悪がある。表と裏があって初めて社会が成り立つ、ということを子供に教えないことがサバービアの大きな問題だ。いくら温室の中で育てても、今の子供はメディアやインターネットを通じていくらでも情報を手に入れることができる。サバービアの矛盾を知った時、子供たちはストレスを感じたり病んだりしていないだろうか。そして子供の為にと思ってサバービアを選んだ大人達もまた、退屈してマリファナを吸ったりしていないだろうか。 こういった問題に気づいていても、人口の増加や不動産価格の高騰などから、アメリカは郊外型の住宅地をつくり続けている。好むと好まざるに関わらず、サバービアでの生活を余儀なくされる家庭が増えている。郊外にそれだけ人口が増えれば、都心と同じ問題を抱えることになる。アメリカは、サバービアに逃げればすべてが解決するといった安易な考えを捨てる時期にきている。人間は不完全な生き物なのだから、人間がつくる街も完全なものなどないのだ。 サバービアの表と裏を描いた映画 *「アメリカン・ビューティー」(1999年) - 言わずと知れたアカデミー受賞作。平凡なサラリーマンの主人公(ケビン・スペーシー)の言動がサバービアの矛盾を良く表しているが、娘のジェーン(ソーラ・バーチ)も、富と安定を与えられたサバービア育ちのティーンエイジャーの行き場のない反抗心を繊細 に表現している。注目したいのは、近所で唯一上手くいっている家庭が皮肉にもゲイのカップルという点だ。家族のあり方と幸福の価値観を考えさせられる。 *「SubUrbia」(1997年) - サバービアの生活にうんざりしながらも、そこから抜け出すことのできない若者を描いた作品。分類は「ドラマ」 となっているが「コメディ」と言っていいほど、ユーモアに溢れている。街に飲み屋もないサバービアで、若者はコンビニエンスストアで酒を買い、その駐車場 で飲んだくれる。健全な街のはずなのに、何故か退廃的な空気さえ漂う。独立系映画で活躍するリチャード・リンクレーター監督の作品。 *「The Ice Storm」(1997年) - 東海岸の富裕サバービアを描いた作品。欲望と自己表現の時代だった70年代、若者だけでなく大人たちもその風潮に流され、家族がばらばらになり始める。今やスター俳優となったトビー・マグワイヤやクリスティーナ・リッキーなどが子役として登場。 *「Orange County」(2002年) - ロサンゼルス郊外にあるオレンジ・カウンティに暮らす人々を皮肉とユーモアたっぷりに描いたコメディ映画。「ここには文学がない」と言ってスタンフォード大学に行きたがる作家志望の主人公(コリン・ハンクス)、ドラッグにいかれてしまった怠け者の兄(ジャック・ブラッ ク)、富がすべてと信じる離婚した両親(キャサリン・オハラとジョン・リスゴー)。映画評論家からは駄作と酷評されたが、サバービアの実態を面白おかしく描写している。

インディ映画「My Big Fat Greek Wedding」に見るアメリカ

今日は嬉しいニュースが飛び込んできた。独立系コメディ映画の「My Big Fat Greek Wedding」(以下、Greek Wedding)の累積興行収入が、この週末ついに1億ドル(約120億円)の大台を突破したという。今年4月の公開以来、口コミでその人気がじわじわと 高まり、週末ランキングでも最高で2位につけた。この調子でいけば、インディ映画として過去最高の1.4億ドルを売り上げた「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」の記録を塗り替えることになる。 嬉しいのはもちろん、この作品を個人的に気に入っているからだが、もう1つの理由は、制作費がたったの500万ドル(約6億円)という地味なインディ映画 を、これほど多くのアメリカ人が支持したことだ。数十億、数百億という制作費と莫大な広告宣伝費が当たり前とされるハリウッド映画が圧倒的な存在感を持つアメリカで、独立系映画や外国映画がヒットを生み出すのは容易なことではない。アメリカ人も概して言えば、娯楽性の高いメジャー系映画に慣れ親しんでいて、それ以外の映画にはほとんど関心を持たない。そんな中で、Greek Weddingの健闘ぶりはこの夏のエンターテイメント業界の話題の中心となった。 舞台はシカゴ。主人公のテュラ(二ア・ヴァルダロス)は、アメリカに移住したギリシャ人の父ガス(マイケル・コンスタンティーン)と母マリア(レイニー・ カザーン)から、祖国の文化を厳格に教えられて育つが、周囲のアメリカ人に溶け込めない自分にどこかコンプレックスを感じていた。30歳を迎えても独身 で、両親の経営するレストランでウエイトレスとして働くさえないテュラに、周りが心配して結婚の話をもちかける。ギリシャ社会では、ギリシャ人と結婚してギリシャ人の子供を生むことが女の務めなのだ。しかし、彼女が非ギリシャ男性のイアン(ジョン・コルベット)と恋に落ちてしまったことから、家族・親戚一 同を巻き込んだ大騒動が始まる… 異文化間のロマンスという新しくも何ともないテーマだが、この作品の面白さは、多文化の融合するアメリカの側面を、マイノリティ(つまり非ワスプ)の視点で思い切りコミカルに描いているという点だ。とにかく最初から最後まで爆笑シーンを連発するGreek Weddingに、娯楽性を追及した人も少なくないだろうが、その一方で多くの観客が何となく身に覚えのあるものを感じながら、この映画を楽しんだことも事実なのだ。アメリカでは移民の数が増加の一路を辿っている。多くの移民は大都市に住み着くが、最近は人口5000人の町にも中国人の経営する中華料理店ができるくらい、移民は各地に浸透している。その結果、異文化コミュニケーションはアメリカ人にとって重要な関心事となった。 この映画がアメリカ人にうけたもう1つの理由はノスタルジーである。父親のガスは絶対的な父権で家族をまとめようとする頑固者、そして母親のマリアは家庭的で優しいみんなの理解者。家族や親戚と深い絆でつながった彼らの伝統的な暮らし方に、アメリカ人は自分たちが失ってしまった価値観を思い起こすことになる。そういった周りとのつながりがうっとうしくなって、プライバシーを尊重する現在のような社会を作ったわけだが、一方で朝から晩まで台所に立ってじゃがいもの皮むきをするような母親の姿も、アメリカでは見かけなくなってしまった。アメリカ人は、映画の中のギリシャ文化に、古き良き時代のアメリカを重ね合わせたのだ。 そしてテュラと同じマイノリティの立場として注目したいのは、この映画がアメリカで「祖国の文化」を誇りに思い、伝統を継承するマイノリティを祝福してい る点だ。チャイナタウンやリトルインディアなど、移民が各地に形成するエスニック・コミュニティは拡大を続けており、文化を維持するだけでなく、政治的、 経済的な力もつけるようになった。ワスプ中心の主流社会に合わせなければいけないといったこれまでの雰囲気は変わり、「民族性」が自分のオリジナリティという認識が広がり、特にこの数年は民族性が「格好いいこと」とさえ捉えられるようになった。1960年代の公民権運動を経て、90年代に移民の急増を経験したアメリカは、多民族文化を包み込むことができる成熟した社会を確実に形成しつつある。この映画はそんなアメリカを明るく祝っているのだ。 この作品が非ワスプの視点で描かれていると書いたが、とにかく何をするにしてもビッグでファット(豪快)なギリシャ人についていけないワスプの人をコケにしている場面がたくさんあって、多分マイノリティの人はスカッとしたはず。その一方で、これでもかというくらいギリシャ文化をジョークにして笑い飛ばす内容なのだ。ギリシャ系の知人に映画の信憑性について聞いてみたところ、大げさな部分はもちろんたくさんあるが、何かというと親戚一同が数十人単位で集まってくるところなどは、否定のしようがないと言っていた。 日本での公開はまだ未定だが、早ければ来年早々に上陸という噂もある。移民で成り立つ国で人々はどうやって生きるのか、移民を受け入れるとはどういうことなのか、連発されるジョークの合間にそういったアメリカの現代社会を読み取って欲しい。日本にとっても他人事ではないはずだ。