レディファースト

日本人男性を悩ますアメリカの習慣の1つが、「レディファースト」だと言う。戸口で、エレベーターで、レストランで、乗り物で、女性をエスコートしつつも先に行かせてあげなければならないのは、本当に気を使うのだそうだ。もしこれに失敗しようものなら、「まったく、男尊女卑の日本人!」とばかりにアメリカ人女性ににらまれてしまうのだから、日々の心労は計り知れないものがある。これはもう何というか、生まれた時からの習慣として身に付いているかいないかの問題で、ある日突然強制させられたところで、上手にできるわけがないのである。 しかし、戸惑っているのは何も男性だけではない。日本で男性の後をくっついて行くことに慣れていた女性だって、ある日急に「先に行け」と言われたら、やはりスムーズにできないものである。特にエレベーターなどであからさまにドアを開けて待っていてくれたりすると、むしろ気後れしてしまうというか、申し訳ないというか、ちょっと恥ずかしい気持ちになってしまう。やはりどこか謙虚な日本人女性は、アメリカ人女性のように堂々と「レディファースト」されることができないように思える。 日本人男性と一緒にいるときもまた困る。ここはアメリカなんだから、と開き直ってレディファーストされるべきなのか、それとも日本人同士でアメリカの流儀を押し通さないほうが良いのか、といつも気を使ってしまう。私の友人などは「日本人男性って、アメリカ人女性だけにレディファーストするでしょ。あれ、 あったま来る!」と憤慨しているが、私は誰が先に入ろうとそんな大した問題ではないと思う。いや、極端な話、レディファーストは時代錯誤の習慣ではないかという気さえするのだ。 レディファーストは、アメリカの建国期に極端に少なかった女性を勝ち取るために、男性が女性を立てる手段として社会に根付いていった。しかし現在のアメリカで、男女の人口比はあまり変わらないし、男女同権になったし、フェミニストたちは男女平等でなければいけないと言っている。もし男女平等なら、どちらが先でも構わないではないか。もしこれが逆で、女性が男性に譲らなければならない習慣だったとしたら、「女性差別」といって大変な騒ぎになるはず。この国のことだ、「公の場でジェントルマンファーストは禁止」などという州法がとっくにできていたことだろう。 アメリカ人男性の中には、レディファーストをすることに喜びを感じている人もいるという。その根底に「か弱いあなたたちを私たち男性が守って差し上げましょう」という優越感がないと言い切れるだろうか。女性がこれだけ賢く、たくましくなり、男性と同等に、時にはそれ以上に才能を発揮する今日のアメリカ社会で、「レディファーストなんかなくたって私たちは大丈夫」というくらいの余裕を、なぜ女性は持てないのだろうか。むしろ、レディファーストごときでギクシャクしている姿こそ、アメリカ社会がいまだに「隠れ男性優位」である証拠ではないだろうか。